●PLAUBEL makina 67 未使用・元箱入/グリップ・フード・フィルター付 SET
\ 210,000
中判の6x7カメラと言えば、「写りがいいのはわかっているんだけど、あの大きさと重さはちょっと…」と敬遠される事も少なくない存在である。デジタル・フォトもここ数年で長足の進歩を遂げ、35ミリフィルムとの画質の差はかなり縮まって来たと言えるが、6x7や6x9などのブローニー判とでは、描写の緻密さや質感など、まだ到底及ぶところではない。今こそ、中判カメラによる表現が見直されて来ていると言える。
写真に何を求めるかは人によって異なる。様々な表現を可能にするために、一眼レフ方式のボディと交換レンズ群を必要とする場合は致し方ないが、そうでなければ携帯性に優れた中判カメラも世の中には存在する。クラシックカメラ好きならば、往年の名機であるイコンタシリーズに代表されるフォールディング・カメラなど、現在でも立派に実用として使うことが可能なのだ。
ただ、やはり露出や距離合わせなどは現代のカメラに比べればそう容易ではなく、ある程度の熟練は要するのが普通だ。そこそこの速写性も要求するならば、もう少しモダナイズされた機種を探さなければならない。
となると、このmakina67などはまさにベスト・チョイスと言えるのではないだろうか。蛇腹とたすきによって繰り出されるレンズ部分は折り畳むことが出来、収納時はぺったんこの状態となって薄いブリーフケースにも無理なく入ってしまう。距離計は二重像合致式で、大きく明るいファインダーのおかげでとても合わせやすいし、ダイオード表示による露出計も信頼性が高い。そして、何よりもニッコールの80ミリF2.8レンズの描写は、数ある中判レンズの中でトップクラスの評価を得ている。生産が打ち切られてからも、他に類似する存在がほとんど無かったことから、常に中古市場では高い人気を集めるカメラとして知られ、取り引きされる価格も高値を維持し続けている。
当然のことであるが、それだけ人気のあるカメラであるから、新品の供給がストップしている状況下にあって、程度の良い個体はどんどん少なくなって来ている。実用派は勿論だが、名門のプラウベルのブランドネームを冠したユニークな名機として歴史的にも評価が高く、コレクションに加えておきたいと考えるコレクターも数多くいる。彼らは出来るだけ状態の良いものを手に入れようと探し回って、いったん収集したものは手放そうとしない。従って、コンディションの良好なmakina67を現在の中古カメラ市場で見つけることは、残念ながら大変困難な事になってしまった。
しかしながら今回の中古カメラ市に向けて、当社では新品に限りなく近い状態のmakina67を用意することが出来た。言うまでもなく化粧箱入りで、説明書も保証書請求用の愛用者カードも、発売時と同じ状態のまま封入されている。
これが、その化粧箱である。左に見える小さな箱は別売付属品として用意されていたレンズ・フード。

さすがに化粧箱の印刷外装などは20年以上の年月を経て、多少は褪色したり擦れているところも見受けられなくはないものの、保管状態はかなり良かったと思われる。
気になる箱の中は、下の写真の通り。こんなに使い心地が良くてしかもキレイに撮れるカメラを使わずに保管しておいたとは勿体ない…と思いつつも、こうして新品状態のまま残して下さった前オーナーには感謝するばかりである。
さすがにグリップとフィルターは箱の無いハダカの状態だが、こちらもほとんどスレやキズなどの無い美品である。

同梱のプライスカードを見ると、当時のメーカー希望小売価格は\158,000であった事がわかる。高級カメラでは良く見受けられるが、購入者が同封のハガキに記入してメーカーに返送すると折り返し保証書が届けられるシステムを取っていたようだが、前オーナーはそのハガキもまっさらのまま取っておいたらしい。

このページをご覧になっている程のカメラ好きの方には今さら解説する必要もないであろうが、このプラウベル・マキナというカメラについて、その成り立ちと終焉までについて簡単に触れておこう。
プラウベル・マキナは元々はドイツのカメラメーカーであったのを「カメラのドイ」を中心とするドイ・グループが買収する形で引継ぎ、同グループの「ドイ・インターナショナル」が独自な理念のもとに再生させたブランドである。
ドイ・インターナショナルはメーカーと言うよりは商社に近い企業なので、マキナ67の場合もカメラのアウトライン的な概要のみをまとめ上げ、実際の設計・製作はその道の専門家に委ねた。
レンズはニッコール、折り畳み式のボディは設計を小西六(コニカ)が、製造をマミヤ光機がおこなった。(初期はシャッターを製作していたコパルの系列会社が製造していたらしい)
1979年に発売され、後にマイナーチェンジが施されてmakina670となった。主たる変更点は、ボディ外装に水平方向の凹凸を設けた事、従来120フィルムのみだった使用フィルムに220を加えて切替式とした事、アクセサリー・シューにストロボ接点を設けてホット・シューとした事などである。バリエーション・モデルとして広角55ミリのニッコールを搭載したW67も造られた。
残念ながらマミヤの倒産によって1980年代半ばには姿を消してしまう。日本のトップメーカーの合作とも言える、海外ブランドの名を冠したこのユニークなカメラは、その成り立ち故に短命を余儀なくされることとなったのである。
現在でもプロ・アマを問わず多くの愛用者が優れた作品を本機で世に送り出している。
最も有名なのはアラーキーこと荒木経惟氏であろう。フットワークも軽く私小説的な日常を綴る同氏の作品には、肌身離さず持ち歩くことの出来るこのカメラが必要不可欠だったのではないだろうか。
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